☆陶人派の三大ルーツ☆
【生活エンジョイ派・・・実用陶器志向】

 日常生活の中で多くの器が用いられているが、自分が作った食器でご飯を食べてみたいと思う人は少なくない。実用的な日常雑器
を作ることで生活に潤いをもちたいと考える人たちである。そんな人の中には他人に手伝ってもらって、ご飯茶碗や湯飲み、大小の
お皿などを作っただけで満足し、半年ほどで止めていく者もいる。 だが日常雑器とは言っても、どんどん力を付けていく人には
次々と目標が現れてくる。急須や蚊取り線香のブタなどのように手の込んだものから、傘立てや植木鉢、灯籠などの大物へと挑戦
する者もいる。今日の陶芸ブームはこの人たちの「用の陶」と「用の美」によって支えられているといえよう。関西では葬式の最後
に個人の愛用した茶碗を割って棺を送り出すしきたりがある。自分の作った茶碗でメシを食い、死によって自分も茶碗も共に土に帰る。
愛着を断ち切る人生の幕切れに、これ以上の演出はない。


【茶人派・・・茶陶風】
 茶道には自作の茶碗や花入を趣向として出すことは珍しくない。代々の宗匠手作りの 茶道具が珍重されている。茶人にとって作陶
は一般教養の一つである。茶から陶に入る人がいる一方で、陶から茶に入る人も多い。この人たちは「茶」のある陶を造る。茶陶には
独自の約束事や美の基準があるから窮屈だ、規制を受けるのはイヤだという人たちもいる。しかし茶陶は桃山の自由闊達な精神やアマ
チュアリズムから出発したものだ。「茶のある陶」は奥が深い。創造の物語を展開する幅が広くて楽しい。 先日も元総理の細川さん
が自作の茶碗などの個展を東京と京都で開かれたが、政治からすっかり足を洗い二年間これに没頭していたそうで、総理の時より楽し
そうで生き生きとされていた。桃山時代から引き継いでいる典型的な茶陶派の家系が現代に生きていたのにはちょっと驚いた。


【花人派・・・オブジェ党】
茶人という人類がいるとすれば、華道を愛する人たちを「花人」と呼んでもおかしくはない。さらに華道だけに限定せず、広く「花のあ
る人」を総称して(花伝書にあるそれぞれの時分の「花」までふくめて)そう呼びたいがどうだろうか? 花人たちにも、自作の壺や水
盤に花を生けたいと思う陶人が少なくない。また花人たちは自由な造形の世界を求め、オブジェ陶へとひろがる。もちろんはじめから
「用の陶」を拒否して、陶彫や陶塑から作陶を始めるオブジェ陶派が近年はますます増えている。花人たちの作陶は器を越えて、造形や
色彩の中に自己を表現しようとする「花のある陶」である。

 これらの三大主流派の違いは、それぞれの使っている言葉を聞いていてもよく分かる。同じ花を差すための器なのだが、生活派は
「花びん」という。これが茶人派になると、「花入」と呼ぶ。花人派なら「花器」であろう。生活派が「ボウル」と呼ぶ「こぼし」も、
茶人派では「建水」である。茶人の言う茶入れや茶壺も、生活派には胡椒壺と見えるのかも知れない。一方で、花人派にはカタカナ言
葉がよく似合う。 それぞれの表現や用語が混じり合って今の陶芸語を形成しているのだろうが、時々その出自がでてくるのを聞いてい
ると人それぞれのの陶芸観がにじみ出てくるようで面白い。その他にも色々なルーツがあり、たとえば次のような源流や亜型も見られるが、
説明はまたの機会に譲る。今は字面から推量していただきたい。
【民芸派・・・窯旅好み】
【文人・骨董派・・・絵付け型】
【陶人形派・・・きれいさび風】
【グルメ族・・・料亭派】
【縄文・弥生人・・・無釉派】
【野焼き派・・・原始美術党】
         
 さて私のような皿山から陶人人生が始まった者は、どの派閥に入れていただけるのかな? ・・・・まずはとりあえず
【無党派皿山・・・拾い屋族】とでもしておこう。